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静岡の大地(15)伊豆の松崎町と帯広市の歴史 2022年7月27日


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 2022年7月2日から久しぶりに北海道へ行った。おもな目的は「とかち鹿追ジオパーク」と「三笠ジオパーク」の視察であったが、訪問先でさまざまな学びがあり、とくに静岡県と北海道の交流の歴史が興味深いことの1つであった。

とかち帯広空港では「くう」が出迎える。

 久しぶりの羽田空港である。品川から京急羽田線で終点へ、第1ターミナルの保安検査をQRコードで通過し、稲荷寿司を食べて、32番ゲートからバスに運ばれて乗り、帯広へ飛んだ。道東の拠点空港である「とかち帯広空港」では、北海道エアポート株式会社の高島課長が私の似顔絵を付けて出迎えてくれた。空港にある「とかち帯広空港公式キャラクター」の「空(くう)」が到着ロビーへ向かう階段の壁に大きく掲げられている。十勝の空気の中にいる天使である。このキャラクターを描いたのは京都芸術大学出身の「Kyon」(ア―ティスト名)である。私はいつも「きょんちゃん」と呼んでいるが、ここでは以後「Kyon」と呼ぶ。Kyonの母上も空港で出迎えてくれてご挨拶できた。母上は帯広の動物や植物に詳しい。
 Kyonとは、十勝観光大使の肩書きを持つ柏本理江さんのことである。2021年4月6日の十勝毎日新聞に、「帯広出身で観光大使の柏本理江さん 京都芸術大卒研テーマで『十勝スピリット』紹介」という記事が掲載されている。それによると、「京都芸術大学の芸術学部通信教育課程を今春卒業した、帯広市出身のぬいぐるみコーディネーター柏本理江さん=市内在住=は、地域の文化遺産を課題とした卒業研究でばんえい競馬を取り上げた。そのリポートが尾池和夫学長の目に留まり、卒業式式辞で数人の研究内容を伝える中、トップで紹介。十勝の開拓精神が現代社会で進化を遂げ、存続などに貢献した独特の郷土愛を『十勝スピリット』と名付け展開したことなど」とある。

 柏本理江さんの卒業研究論文の題目は『馬文化を守る十勝スピリット』である。世界一大きな馬である「ばん馬」の歴史から、帯広市1つの市で開催することになった「ばんえい競馬」の経緯を描き、今後の課題を記述した。さらに鹿追ジオパーク認定に至る歴史的背景についての考えを述べている。両方に共通する視点は、官民一体の地域への思いであり、彼女はそれを「十勝スピリット」と呼んだ。

 今回の視察では、この「十勝観光大使」の大活躍で、訪問先の方たちに多くの資料をいただきながら、詳細な知識を得ることができた。それらの一部を今回は紹介して、北海道と静岡県のつながりに触れてみたい。

1トンの橇を曳いて競走する。ゴールは橇の最後尾が通過したタイムで記録される。

「馬の資料館」には農耕馬の歴史や道具類があり、開拓の歴史を知る手がかりとなる。

 帯広名物の「ばんえい競馬(ばんえい十勝)」を見た。土日月だけの開催で、ちょうど見ることができた。「ばんえい」の漢字は「輓曳」である。ばんえい競走とは、競走馬が橇(そり)を曳きながら力や速さを争う競馬のことである。現在、北海道帯広市が主催するもののみが行われており、世界的にも唯一の競馬である。ばんえい競走ではサラブレッド系種や北海道和種の「どさんこ」は使われない。古くから農耕馬として利用されてきた体重約800-1,200kg前後の「ばんえい馬(重種馬。ばん馬ともいう)」が、騎手と重量物を積載した鉄製の橇を曳き、2つの台形状の小さな山を持つ直線200メートルのセパレートコースで、力、速さ、持久力、騎手のテクニックを競う。いくつかのレースを、田中敬二副市長たちに詳しく解説してもらいながら見学し、退役した馬に人参を差し入れた。競走に出る馬は現在約700頭いるという。

 夕食のとき、元副市長で空港の専務などを歴任した本迫哲さんに会って歴史から現在までのことを教えてもらった。十勝地域への大学誘致の苦労話も聞いた。何よりも感動したのは伊豆半島の松崎との交流のことである。

 明治政府は、明治2年(1869)に蝦夷地を北海道と改め、開拓使を設け、国?郡に分けた。この時、十勝国が置かれ、広尾?当縁(とうぶい)?十勝?中川?河東(かとう)?河西(かさい)?上川の七郡に分けられ、帯広地方は河西郡に属した。明治2年8月、十勝?中川?河東?上川の四郡は静岡藩に、広尾、当縁?河西の三郡は鹿児島藩にゆだねられた。間もなく鹿児島藩は三郡支配をやめ、そこは徳川家直系の一橋家および田安家の所領となり、十勝国はすべて徳川家一族の領地となった。帯広の地は一橋家の支配下に入ったが、そこはまだアイヌ民族の天地であった。静岡藩は明治4年6月、十勝最初の移住農民6戸7人ぐらいを大津近辺に入植させたが、同年の廃藩置県、開拓使直轄に伴って静岡藩の支配は終止符を打ち、移住農民も帰国してしまった。

 明治12年からの蝗害の大発生は、十勝内陸部が広野であることを内外に知らしめ、また内陸に入った商人や猟師らの中に、利別太(としべつぶと)などで無願開墾に従事する人たちも現われた。依田勉三(よだべんぞう)は、明治14年に十勝沿岸部を視察、大津で内陸部への開拓者の移住計画があることを耳にして強く心を引かれた。静岡県松崎村に帰郷した勉三は、早速兄佐二平以下の一族の賛成を得て、明治15年1月、開拓団晩成社(社長、依田園)を組織した。この年2月に開拓使は廃止され、十勝国は札幌県に属することになった。同年6月、勉三と同志鈴木銃太郎は、入植地の選定と諸準備をするため渡道し、札幌県庁などに立ち寄ってから十勝内陸部を踏査、音更(おとふけ)のモッケナシの馬場猪之吉の所にいた大川宇八郎の案内を受け、同年7月16日、アイヌの人々が住むオベリベリを有望の地として入植地に決定した。銃太郎は、オベリベリに残って翌年開拓団を迎えるため作物の試作等の準備に入り、勉三は、札幌県庁などに寄ってから帰郷、渡邉勝とともに移民や株主募集などに奔走した。

 そこから長い開拓の物語があり、晩成社の人たちは、本州と異なる亜寒帯の気候風土にとまどいながら開拓に立ち向かった。移民の後が続かず近辺からアイヌの人たちが晩成社を訪れて小屋作り、新墾、再墾、播(は)種、除草、収穫等の開拓の仕事に従事協力し、和人とアイヌの協調で開拓が進んだという。

 松崎町にある旧依田邸は昭和36年からホテルとして営業をしていたが、依田家として住宅を残し守ることが不可能となった。このため平成27年にNPO法人伊豆学研究会とNPO法人くらしまち継承機構において土地?建物の財産を取得し、その後松崎町が取得した。案内のボランティアの話によると、「年間維持費が6億円かかる。大いに宣伝してください」とのことであった。目の前には那賀川が流れ、隣にはホテル当時のお風呂を引き継いだ日帰り温泉もあり、ゆっくりと過ごすには最高の場所である。

伊豆半島の松崎町にある旧依田邸 撮影:宮原亜砂美

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松崎町の旧依田邸にある解説 撮影:宮原亜砂美
 帯広市と伊豆半島の松崎町は「開拓姉妹都市」である。昭和53年5月20日(1978年)に協定を締結した。市の説明には「帯広市の開拓の始まりは、明治16年(西暦1883年)、北海道への移民を決意した晩成社(発起人代表、副社長 依田勉三、松崎町出身)の一行27人が十勝の下帯広村に入植したときとされています。帯広開拓の祖が松崎町出身者であるという縁により、昭和53年5月20日に開拓姉妹都市を締結しました。現在では、依田勉三翁の開拓者精神を学ぶため、毎年夏休みに小学生の相互派遣が行われているほか、松崎町から季節の便りとして、5月頃に「甘夏みかん」、1月頃に「ぽんかん」をいただいており、市内の福祉施設、保育所等に配布しています。また、帯広市からは5?6月頃に「アスパラ」、10?11月頃に「じゃがいも」を送っており、町内の幼稚園、小中学校等に配布されています」とある。

 松崎町のウェブサイトからエピソードを紹介する。開拓初期は生活が極端に苦しく、客人が豚の餌と勘違いするほどの粗末な食事であったが、それを勉三は毅然として「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」と詠んだといわれる。

 勉三のことは映画になった。小説『依田勉三の生涯』(松山善三著)を原作とする物語で、依田勉三率いる「晩成社」一行30余名の壮絶な挑戦を描いた勇気と感動のスペクタクル巨編である。平成14年(2002年)の開基120年を記念して、映画『新しい風―若き日の依田勉三―』が制作され、第38回ヒューストン国際映画祭でグランプリに輝いた。

 六花亭の「マルセイバターサンド」は、北海道帯広市に本工場を構える六花亭製菓株式会社が販売する北海道銘菓として人気がある。その「マルセイ」は?の中に「成」の字を入れたもので、晩成社(依田牧場)が1905年(明治38年)に北海道で初めて商品化したバターのことで、当時の表記は「マルセイバタ」であった。マルセイバターサンドの包装は 発売当時のマルセイバターのラベルを復刻し、デザインしたレトロな外観である。

 帯広市の名物に豚丼がある。豚丼が登場したのは昭和8年であった。庶民が食べられる料理ということで、鰻丼をヒントに甘辛いタレを絡めて焼いた豚丼が作られた。それが帯広の市民に愛され、郷土料理となった。豚丼の味は家庭ごとに自慢の味があると、Kyonは強調する。そして父上おすすめのタレがあるというので、それをいただいて帰った。

帯広市の六花亭(左)と銘菓マルセイバターサンド(右)

 夕食の後、宿舎のホテル日航ノースランド帯広まで歩いたが、その途中、北の屋台を通り抜けた。北の屋台の「プチ?プレジール店主」である阿部誠さんと少し立ち話をした。帯広市にある屋台村「北の屋台」である。焼き鳥、串焼き、居酒屋、フレンチ、中華、韓国料理、おばんざいなど、個性豊かな20軒の屋台が軒を並べる。農業王国十勝の食材を利用し、さまざまなメニューを味わいながら客どうし、客と店主とのふれあいを楽しむ空間である。北の起業広場協同組合が、今2023年4月にスタートする「北の屋台第8期」の出店者を募集しており、8月開催予定の説明会に本人が参加することが条件である。北の屋台ネット委員会によると、「空洞化していく帯広のまちを何とか元気にさせたい」という思いを持った市民たちが集まり、1999年2月、陳情型ではなく、自分たちの資金と行動力でまちづくりに参加しようという趣旨で、官民一体となって実現までこぎつけたという。

北の屋台「プチ?プレジール」店主の阿部誠さん(左)の名台詞(Kyonのレポートより)と北の屋台の夜(右)

 7月3日、一般社団法人帯広観光コンベンション協会事務局長の櫻井政宏さんが資料をホテルへ届けてくれた。私たちは伊澤麗華さんと株式会社十勝毎日新聞社社長の林浩史さんの案内で鹿追に向かった。麗華さんは帯広出身のプロスキーヤーで、自然の中で滑走するフリーライド種目の選手として世界大会での活躍を目指している。鹿追町のジオパーク推進係長の大西潤さんの手配によってさまざまな視点から鹿追の全体を見ることができた。

 「とかち鹿追ジオパーク」は、北海道東部に広がる十勝平野、その北西部に位置する鹿追町全域をエリアとする。国内有数の食糧基地として知られる十勝管内の一部として、鹿追では、肥沃で広大な大地を使う酪農と畑作を基幹産業としている。町の北部は大雪山国立公園に指定され、公園内にある山々や然別湖(しかりべつこ)には自然環境や温泉を求めて多くの観光客が訪れる。 

 とかち鹿追ジオパークのテーマは「火山と凍(しば)れが育む命の物語」であり、国内のジオパークで唯一「凍れ」をテーマとして、凍れが作りだす地形や生態系、寒冷地に暮らす生活の知恵や産業、イベントなど、大地の恵みを体験することができる。約100万年前から1万年前に繰り返された火山活動が、鹿追の大地を作り上げた。火山活動によって溶岩ドームが誕生し、川が堰き止められ、然別湖が誕生した。溶岩ドームには岩塊斜面と風穴地帯が広がり、周囲には流れ山地形や爆裂火口の跡がある。

扇ヶ原展望台から見た十勝平野(左)と然別湖(右)

Kyonが撮影したエゾナキウサギ(左)(画面の中央部)とその糞(右)

 Kyonが書いた卒業研究のレポートに「とかち鹿追?ジオパーク」が描かれている。それによれば、「とかち鹿追ジオパーク」は鹿追町全域がジオパークである。大雪山系と日高山脈を背にして十勝平野の北西部に位置する。5,490の人口に対して、牛は30,449頭いる。17のジオサイトがあり、藷掘りや搾乳などの農業体験プログラムもある。役場の隣には神田日勝記念美術館があり、郊外には農家が営むおしゃれなカフェが点在する。
 さらに、レポートは続ける。北側の大部分を占める大雪山国立公園には、エゾシカ、キタキツネなどを見かけるが、エゾナキウサギには出会えない。兎目ナキウサギ科で頭胴長は11~18cmの小さな哺乳類であり、マンモスなどと共に大陸から渡来し、温暖期にも平地に下りず、山岳部で生き残った遺存種で、「生きた化石」と呼ばれる。士幌高原道路計画に対して、建設中止の運動が30年近く展開された結果中止が決定された。こうして守られた風穴地帯と、そこに棲むエゾナキウサギがジオパークの宝である。日本最大級の風穴地帯の周囲には、風穴から出る冷たく湿った環境により、エゾナキウサギを代表とする生態系が育まれている。

 然別湖は標高804mにある。北海道で最も標高の高い自然湖である。然別火山群の活動で川が堰き止められてできた。陸封されたオショロコマが湖の環境に適した亜種ミヤベイワナへと進化した。多様な生物が生息しており、これらの地形や生態系を観察するツアーがネイチャーガイドによって常時行われている。完全結氷する湖面を利用して、冬期には「しかりべつ湖コタン」というイベントが開催される。湖面に雪と氷を使ったイグルー(イヌイットの雪の家)やチャペル、氷上露天風呂などが建設され、摂氏零下30℃を体験することができる。

 鹿追町東町にある神田日勝美術館では、喜井知己鹿追町長、小林潤館長、学芸員の川岸真由子さんと杉本圭吾さんの案内で作品を鑑賞した。福のり子さんの8月の企画を紹介し、対話型鑑賞に向いている美術館だと感想を述べた。

美蔓めん羊牧場のサフォーク種の羊(左)とラムのしゃぶしゃぶ(右)

 上川郡清水町字美蔓(びまん)にある「美蔓めん羊牧場」の田中公治さんを訪ねた。ここで田中さんは、黒い顔の「サフォーク種」という羊を育てている。毛刈りした羊もいた。80kgくらいの羊が大人しく刈られる。日高山脈を背景に牧草地が拡がっている。美蔓亭では夕食に「羊の肉のしゃぶしゃぶ」を食べた。特製のポン酢で、たくさんの野菜と食べる。あっさりした味のラムのたたきも食べた。しゃぶしゃぶ後、麺を肉と野菜の味が出た鍋に入れた。この店では通信販売で「しゃぶしゃぶ輸送」も行っている。

 7月4日、峠を越えて上富良野方面へ出かけた。帯広から札幌へ向かう交通手段には、JR、高速バス、自動車の3つの手段がある。私はどちらかというと列車の旅が好きである。俳句を詠むためにはバスよりも列車の窓から景色を見ながら、地図を片手に旅をするのが向いている。そのためには、必ずしも最短距離を選ぶのではなく、わざわざ遠回りする場合もある。これが大学の仕事での出張では制度的にできない場合も多く、「どこどこ町周辺」という出張先の記載が事務的に認めてもらえなかったこともある。地球科学の調査では、どの組織にも立ち寄ることなくその町の地形を観察しながら歩くだけという場合があり、事務担当者が戸惑うという場合が少なくない。今回の場合には、最短距離なら2時間半で札幌まで行ける列車の旅ではなく、富良野、美瑛を廻るコースとした。途中あちらこちらに立ち寄るから1日かかる。

 上富良野では早咲きのラベンダーが満開である。美瑛での昼食は新得(しんとく)蕎麦にした。北海道の蕎麦が全国に出回る。ざる蕎麦を食べていると、ゲリラ雷雨に出会った。前が見えないほどの激しい雨で、落雷もある。道路に枝が落ちる。

 三笠ジオパークでは三笠市商工観光課長の下村圭さんに案内して貰った。三笠ジオパークのテーマは、「さあ、行こう! 一億年時間旅行へ?石炭が紡ぐ大地と人々の物語」である。三笠の近代史は、明治元(1868)年、幌内地区と呼ばれる場所で大地の遺産である「石炭」が偶然発見されたことに始まる。北海道初の近代炭鉱である「幌内炭鉱」が設置され、採掘された石炭を輸送するため北海道初の鉄道である「幌内鉄道」が敷設された。石炭を採掘するために空知集治監と呼ばれる刑務所が設置され、道内では唯一、囚人が炭鉱労働に使役された場所でもある。これらの歴史を知ることができるサイトが数多くある。

1億年前から5,000万年前にまたぐ場所の地表の標石(左)と鉛直の地層(右)

 「ひとまたぎ5千万年(野外博物館エリア)」を歩いた。石炭の産出する5,000万年前の地層とアンモナイトの産出する1億年前の地層が隣り合わせに分布している場所である。本来あるはずの5,000万年分の地層が、1億年前から5,000万年前の間に大地が一度陸化したことによって、浸食で削られてしまったために欠如している。さらに地層が鉛直に立っている。地層が鉛直になるまで地層が押し曲げられた原因は、北海道の西側のユーラシアプレートと東側の北米プレートが衝突して押された結果である。この衝突で大地がめくれあがって日高山脈ができた。このおかげで、5,000万年前の石炭層を調査していても、ひとまたぎで1億年前の地層を観察することができた。したがって調査していたライマンは炭層調査の折にアンモナイト化石を発見した。その後、北海道におけるアンモナイト研究が積極的に進められ、三笠は世界的に有名なアンモナイトの産地として知られるようになった。

 札幌の街にも久しぶりに来た。札幌駅の周辺にはずいぶん高いビルができている。JRタワーホテル日航札幌に宿泊した。7月5日、北海道大学大学院文学研究院の今村信隆さんと会って北海道大学の植物園を歩いた。今村さんは博物館学が専門である。京都芸術大学の逸見涼子さんも同行してくれた。現在、開園は屋外部分、温室、博物館および宮部金吾記念館で、室内の換気が困難となるため北方民族資料室は閉館している。

北海道大学の博物館(左)と自然林(右)

 「あらびか」という喫茶店で休憩して、炭火で手回しの焙煎装置での作業をしばらく観察した。コーヒーとチーズケーキが美味しかった。丘珠(おかだま)空港には札幌の歴史展示がある。視界不良で小牧の名古屋空港へ降りるかもしれないという予告があったが、予定通り富士山静岡空港へ着陸した。

尾池 和夫


参考文献
柏本理江:『馬文化を守る十勝スピリット』(2020年度京都芸術大学通信教育部卒業論文)

参考URL
下記は、大学外のサイトです。

2020年度京都芸術大学通信教育部卒業式式辞
https://www.kyoto-art.ac.jp/info/about/message/president/speech/pdf/20210313_3.pdf

帯広市の歴史
https://www.city.obihiro.hokkaido.jp/shisei/gaiyo/shishi/1001423.html

松崎町の依田勉三の紹介
https://www.town.matsuzaki.shizuoka.jp/docs/2016020300172/

NPO法人伊豆学研究会
https://izugaku.jp/yodatei/

とかち鹿追ジオパーク公式サイト
https://www.shikaoi-story.jp/

神田日勝記念美術館
http://kandanissho.com/

三笠ジオパーク
https://www.city.mikasa.hokkaido.jp/geopark/

三笠市立博物館
https://www.city.mikasa.hokkaido.jp/museum/

北海道大学植物園
https://www.hokudai.ac.jp/fsc/bg/

静岡新聞「まんが静岡のDNA」の記事でも静岡の大地を紹介しました。
https://www.at-s.com/news/article/featured/culture_life/kenritsudai_column/700397.html?lbl=849

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