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静岡の大地(その8)浜名湖とその周辺 2021年12月20日


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浜名湖

 浜名湖は、静岡県浜松市と湖西市にまたがる湖である。浜名湖の面積は64.91?、周囲の長さは114 km、最大の水深は16.6 m、平均水深は4.8 m、貯水量は0.35 ?、中栄養湖で透明度は1.3 mというデータが記録されている。湖の面積としては、日本で10番目の大きさである。形は複雑で、細江湖(引佐細江(いなさほそえ))、猪鼻湖、松見ヶ浦、庄内湖の4つの枝湾を持っている。これらの面積が全体の面積の4割に達する。このために湖の周囲長が日本で3番目で、汽水湖としては日本一の長さである。湖の北側と南側で水深は大きく異なり、北側は深く、南側は比較的浅い。

 浜名湖は汽水湖で、南部は遠州灘の海に通じている。もとは砂州によって境された淡水湖であったが1498年の明応地震と高潮によって砂州が決壊し、外海と通じて汽水湖になった。そのため海水と淡水の栄養素が集まり、魚などの生物が非常に豊富である。魚類は401種、甲殻類59種、軟体動物84種と、全国一の生物多様性の湖である。近くにある佐鳴湖と新川を通して繋がっている。河川法上では、浜名湖は二級河川都田川水系都田川として河川指定がされており、浜名湖に注ぐすべての河川が都田川水系とされている。湖内の南端付近には弁天島があり、湖内北部には面積20アールほどの礫島(つぶてじま)があって松に覆われている。

 湖の南部に比べて北部では潮汐の時刻が遅れる。南の舞阪検潮所に比べると、中ほどの村櫛で2時間ほど、北の奥浜名湖(猪鼻湖、細江)や舘山寺方面で3時間ほどの遅れである。

 浜名湖では、鰻、海苔、牡蠣、鼈(すっぽん)などの養殖が盛んで、特に養殖鰻は有名、鰻丼、鰻ボーン、鰻パイなどの特産品があるが、鰻の稚魚の価格高騰と、輸入鰻の影響で、養殖業者、漁獲量ともに1980年代から減少を続け、現在、漁獲は最盛期の3分の1以下になった。独特の伝統的な漁法である「たきや漁」では、獲物を光で誘引し、モリで突いて採取する。鱸(すずき)、鱚(きす)、鰈(かれい)などが獲れる。また、潮干狩りの場所として広く利用され、主として浅蜊が採れる。

浜名湖:国土地理院の湖沼図

 浜名湖の歴史は、約40~50万年前まで溯る。天竜川の堆積で台地が形成されたことから歴史が始まり、海進と海退の繰返しで、大地と谷の地形が形成され、沖積世の海面上昇によって沿岸流が運ぶ土砂で海への入口がふさがれ、今の浜名湖ができた。沖積世の海面上昇は縄文海進とよばれ、このあと+3mから-2mほどの海進、海退が数回あって、低地に海岸線に平行な砂堤が複数残されている。最大では雄踏の高さ10mがある。縄文中期から後期以降、浜名湖は庄内半島から日ノ岡より北にあって、その南は平野となっていた。川が現在の弁天島駅付近で海に注いでいた。平安時代には浜名湖の出口は現在の湖西市新居町大倉戸に流れていて、橋が掛けられた。この川は浜名川と呼ばれ、そこを東海道が通っていた。

 浜名湖は古くは、遠津淡海(とおつあわうみ、遠淡海)と呼ばれた。遠江の語源と言われる。近江国の「近淡海(ちかつあはうみ)」の琵琶湖との対比での名称とされた。都から遠い淡海、つまり淡水湖という認識である。明応7年(1498年)、南海トラフに起きた明応地震と、それに伴う津波によって、浜名湖と海とを隔てていた地面の砂提が決壊し、汽水湖になった。このとき、舞阪から弁天島が分かれ、津波によって村が壊滅して引っ越したことから村櫛(現在の浜松市西区村櫛町)という地名が付いた。この時に決壊した場所が、今切(いまぎれ)と呼ばれ、渡し船で往来するようになった。元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いで、徳川家康への援軍として参陣していた佐久間信盛が、武田信玄率いる武田軍団との交戦の後、この今切まで撤退した。今切の渡しは、東西交通の難所として知られていたが、現在では、鉄橋や道路などが通り、往来できるようになっている。

 舘山寺温泉は、 湖の東岸にある庄内半島の温泉地である。湖の北岸にある寺の名が地名となっている。弁天島は、湖の南部の島で、湖水浴場として知られており、温泉地でもある。

年平均降水量の分布:
中部地方整備局天竜川上流河川事務所ホームページより
(クリックすると拡大します)

 浜松の北にある南アルプスは、標高2000mを越える。低い地域から、常緑針葉樹林、落葉広葉樹林、ダケカンバ林など、冷温帯の森林が広がる。1600種以上の植物、3000種以上の動物が生息する。浜松の平野部では、椎、樫などの常緑広葉樹林が多く、南方系の昆虫が生息する。冬には「遠州のからっ風」と呼ばれる乾いた風が吹く。浜松の気候は、大気循環と海流によってもたらされる。

 浜松の大地の岩石は海に由来する。多くを占める石灰岩は、海の生物の遺骸で、炭酸カルシウムで構成されている。石灰岩は浸食されやすく、鍾乳洞ができる。

 浜松市は、中部地方で名古屋市につぐ人口を持つ都市である。合併により市域は東西52km、南北73kmとなった。市域の多くは、天竜川流域と浜名湖(都田川)流域に属しており、それぞれの流域圏内における結びつきが強い。「浜松市 川や湖を守る条例」の効果的な運用で、河川流域の自然環境の保全を推進する。天竜川は浜松市の貴重な水環境であり、合併によって拡大した市域の上流部と下流部をつなぐシンボル的存在だと言われる。

 江戸時代、天竜川の川筋は定まらず、洪水を繰り返し、「あばれ天竜」と呼ばれ、恐れられていた。天竜川上流の土砂が海底へ流入し、浜名湖や中田島砂丘が形づくられた。日本三大砂丘に挙げられる中田島砂丘は、砂の色が白いことで知られる。この白は、天竜川上流にある花崗岩に由来する。堆積した土砂は天竜川によって浸食され、三方原台地が形成された。

 中部地方整備局天竜川上流河川事務所ホームページによると、天竜川流域は、3,000m級の山岳地帯から太平洋の平野部まで南北に長い地形のため、流域の気候には大きな地域差がある。天竜川上流域は内陸性気候のため、年間降水量が約1,200~1,800mmと少ないのに対し、支川の源流域では約1,400~2,800mmと多くなっている。

 奥浜名湖には豊かな自然、緑と花に抱かれた町、浜松市井伊谷(いいのや)があり、そこに萬松山龍潭寺(りょうたんじ)がある。井伊谷地域は、古くは「井の国の大王」が聖水祭祀をつとめた「井の国」の中心であった。浜名湖に注ぐ井伊谷川、神宮寺川に沿って、台地には縄文と弥生の遺跡、古墳が数多くある。また、水にまつわる伝説も多い。

 当地の歴史と、寺の縁起にゆかり深いのが、「井伊共保(いいともやす)出生の井戸」である。共保は、平安時代から戦国時代まで、600年にわたってこの地方を治めた井伊氏の元祖である。井伊氏は保元の乱で源義朝に、鎌倉時代には源頼朝に仕え、南北朝時代では南朝方の後醍醐天皇皇子、宗良親王を迎え、井伊谷城に保護した。その後、遠江の守護職となった今川氏の支配下に置かれた。戦国時代、24代直政が浜松城主徳川家康に仕え、「井伊の赤鬼」と呼ばれて大活躍し、やがて徳川四天王の筆頭となり、以後、井伊家は代々、江戸幕府の要職を歴任している。幕末には、当時大老であった第36代井伊直弼の時に江戸幕府が開国した。「龍潭寺」という寺号は、戦国時代に今川方につき「桶狭間の戦い」で戦死した井伊家22代直盛の戒名からとっている。

 元祖共保より第40代に到るまで、祖霊を祀る菩提寺として歴代当主に深く帰依されて来たのが龍潭寺である。寺の歴史は古く、天平5年(733)に行基によって開創されたと伝わる。禅宗となったのは室町時代末期、20代直平が帰依した黙宗瑞淵和尚を開山として迎えてからである。後の遠州地方の臨済宗妙心寺派の法源となった。

 一万余坪の境内には、江戸時代に建立された県指定文化財の本堂、開山堂、総門、庫裏、霊屋などの貴重な建物が立ち並び、国指定名勝、小堀遠州作「龍潭寺庭園」が四季折々の風光と調和し、「井の国」の歴史と文化と信仰を今日に伝える。

龍潭寺

大本山方広寺の案内図(方広寺ホームページより)

 大本山方広寺は、浜松市北区引佐町奥山にあり、南北朝時代の応安4年(1371年)に、この地の豪族、奥山朝藤が招いた後醍醐天皇の皇子で、高僧の無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)により開山された禅寺である。現在、臨済宗方広寺派の大本山となっている。奥山氏は、井伊谷井伊家の分家である。南北朝時代に奥山城を拠点として南朝方に味方した。建武2年(1336年)には奥山城に後醍醐天皇の皇子で井伊道政とともに北朝と戦った宗良親王を迎え、その後、方広寺の建立に尽力した。

 方広寺に祀られている『半僧坊権現』は、開山した無文元選が中国の元から帰国する際に乗った船を、悪天候の中で守護したとされる権現である。方広寺は、別称で『奥山半僧坊』と呼ばれている。

 黒塗りの総門をくぐると、うっそうと茂る杉の老木がある。五百羅漢が参拝者を迎える。直虎が女城主として守った幼い跡取り、虎松(後の直政)の実母は奥山氏の出であった。奥山朝藤の曾孫の娘が、直政の母にあたるという。

 大本堂と黒門の間は、参道と裏参道「哲学の道」の2つの道がある。参道を行くと「半僧杉」と呼ばれる樹齢600年の巨木があり、哲学の道の途中には、大火で燃えた後も炭化しながら130年生き延びたという切り株「火防半僧杉」があり、どちらもパワースポットとして人気がある。

方広寺と羅漢

 方広寺は、60haの寺域を有し、本堂、三重の塔など60余棟の伽藍がある。その中の半僧坊真殿は、中国から帰国途上の開山禅師を海難の危機から救い、寺の守護を誓ったといわれる方広寺の鎮守「奥山半僧坊大権現」を祀る。向拝(こうはい)には「昇り龍下り龍」の一木彫の彫刻があり、眼光鋭く今にも動き出しそうな躍動感は見る者を圧倒する。国指定の重要文化財、木造釈迦如来及両脇侍坐像は、文和元年(1352年)の作で、方広寺の開創よりも前に作られたものであり、もとは現在の茨城県の清音寺にあったもので、徳川光圀(水戸光圀)の厚い信仰を受けて修復されたことが記録に残っている。

  昏鐘や一打一打に散る銀杏  有馬朗人

 方広寺にこの句碑がある。方広寺奉賛会の活動の一つとして、15年ほど前から「観月の夕べ」が開催され、昼の俳句会では有馬朗人さんが俳句や地域の文化にまつわる講演を行っていた。今年(2021年)も観月会は中止と決断されたが、有馬朗人さん追悼の意で昼の俳句会だけは開催された。

 方広寺では、坐禅や写経、写仏の体験ができるほか、精進料理をいただくことができる。方広寺精進うな重は、蓮根?山芋?豆腐を使って本物そっくりにうなぎを再現する。二の膳を追加の場合は2日前までに予約が必要である。門前の野沢製菓では半僧坊と烙印が押してある名物「大あんまき」がワンコインで購入できる。

地図:方広寺と龍譚寺の位置
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大あんまき

地図:曽許乃御立神社の位置
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 許乃御立(そこのみたち)神社は、舘山寺公園の北800mほどに鎮座する。御祭神は、武甕槌命である。『古事記』では、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)、建御雷神(たけみかづちのかみ)で、別名に建布都神(たけふつのかみ)、豊布都神(とよふつのかみ)と記され、『日本書紀』では、武甕槌(たけみかづち)や武甕雷男神などと表記される。単に「建雷命」と書かれることもある。鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)の主神として祀られていることから、鹿島神(かしまのかみ)とも呼ばれる。雷神、かつ剣の神とされ、建御名方神と並んで相撲の元祖とされる神である。
 鯰絵では、要石に住む、日本に地震を引き起こす大鯰を御する存在として、多く描かれている。創建767年(神護景雲元年)で、社伝では、神護景雲元年(767)、常陸国(現在の茨城県)に鎮座する鹿島神宮の大神が、大和国は御蓋山(現在の奈良県春日大社)に向かう御神幸の途次、当地の根本山にて休憩した際に、近郷住民がその御神徳を慕って社殿を建立し、分霊をいただいてお祀りしたことが創建の縁起とされている。延長5年(927年)に編纂された延喜式神名帳に記載のある古社(式内社)である。現在でも通称は鹿島さんである。

 三ヶ日(みっかび)は、浜松市北区の浜名湖北岸にある地区で、江戸時代は本坂通(姫街道)の宿場「三ヶ日宿」として知られ、近年は「三ヶ日みかん」の産地として名が通っている。「三ヶ日」という地名の由来には諸説あり、三ヶ日堂から来たという説、三日池の伝説から来たという説などがある。

 1959年から1961年、三ヶ日町(現在の浜松市の一部)の石灰岩採石場で人骨が発見された。鈴木尚(ひさし)氏らによって発掘された化石人骨で、脳頭骨の破片5点、右の腸骨と大腿骨各1点が、ナウマン象、トラ、オオカミなどの化石とともに出土した。脳頭骨の側頭線の発達の状態や大腿骨骨幹の横断面の形は縄文時代人と共通する特徴を示し、身長は成人男性で150cm程度であったと推定された。発見当時、更新世後期のものと考えられたが、放射性炭素法による年代推定の結果、9000年前より新しい縄文時代のものと確認された。

地質図:浜名湖周辺(産総研地質調査総合センターによる)
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 2021年、三ヶ日町農協は、5月12日に行った着花調査で、2021年産の「三ヶ日みかん」の収量を30,200トン(表年に当たる2020年産出荷量対比85.5%)と予測した。内訳は早生10,000トン、青島20,000トン、その他200トンで、裏年の作柄としては多めの数量である。この調査には、生産者やJA職員、関係機関、約50名が参加し、5班編成で早生、青島温州の町内ミカン園、約100か所を調べ、樹勢や新梢の発生や花の状態など5項目を5段階で評価した。

 ボートレース浜名湖は季節によって風向きが変わります。「冬は追い風」、「夏は向かい風」が吹く。そのため、季節ごとに予想を変える必要がある。浜名湖の水面は全国一の広さで、対岸にぶつかる危険性がない。したがって激しいスピード戦が期待できる。レバーを握って回れる高速水面である。全国最大級の水面を誇り、「安定して走りやすい」という評判である。広大さゆえに風の影響を受けやすい。

尾池 和夫


下記は、大学外のサイトです。

20万分の1シームレス地質図(産総研地質調査総合センター)
https://gbank.gsj.jp/seamless/seamless2015/2d/

中部地方整備局天竜川上流河川事務所ホームページ
https://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/index.htm

静岡新聞「まんが静岡のDNA」の記事でも静岡の大地を紹介しました。
https://www.at-s.com/news/article/featured/culture_life/kenritsudai_column/700397

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